さる9月10日まで、東京・六本木の国立新美術館で開催されていた展覧会<「具体」-ニッポンの前衛 18年の軌跡>。会期中に鑑賞し、展覧会カタログも入手することができました。具体美術協会(「具体」)は、1954年に吉原治良をリーダーとして、関西の若い美術家たちで結成された美術家集団で、その一風変わったグループ名は、「我々の精神が自由であるという証を<具体>的に提示したい」という思いを表わしているそうです。「人のマネをするな!」、「これまでになかったものを作れ!」という吉原治良の指示のもと、若い「具体」の作家たちは次々とユニークな作品を生み出していくことになります。「具体」の全盛期は1950~60年代。この時代は日本が奇跡的な戦後復興を成し遂げた時代と重なります。そんなエネルギーに満ち溢れた時代に生まれた作品群を、政治・経済など様々な分野で行きづまりの様相を呈する現在の日本に生きる作家のひとりである私が観ると、素直に羨ましく思えます。もちろん当時、「具体」の活動に理解を示し、称賛する人々は少なかっただろうし、作品がどんどん売れるということもなかったでしょうから、リーダーでもあり、パトロンでもあった吉原治良の存在はとても大きなものがあったと思いますが、イメージと情報が溢れ、人マネの作品が平気で横行している現在の美術界の状況を鑑みるに、新鮮な感動をあらゆる造形の中に求め、「物質や表現」と格闘し続けた「具体」の作家の心意気や情熱を、現代の若い作家は(私も含め)改めてもっと見習うべきではないかと思えてきます。
その「具体」展の分厚いカタログにゆっくり目を通してみると、高島屋(大阪)での展示記録や写真が。カタログの最後のページを飾る「国際スカイフェスティバルでの吉原治良」(1960年、なんば高島屋・大阪)は、とてもいい写真です。高島屋は、日本橋高島屋の美術画廊Xや新宿高島屋などで、つい最近から現代美術を取り上げ始めたかと思いきや、街の企画ギャラリーが本格的に現代美術を取り上げるよほど前から現代美術展を企画していたんですね~。すごいです。
そんなことを思いながら、カタログのページをめくっていると、「主要参考文献」欄に見慣れた名前が掲載されているのを発見!現在、私のアーティスト・マネージメントを担当してもらっている太田善規さん。彼がカサハラ画廊のスタッフだった頃に編集を手掛けた「カサハラ画廊25年史 <1972-1997>」が、この「具体」展の参考文献として採用されていたとは!
1972年にオープンしたカサハラ画廊は、あの世界的彫刻家 イサム・ノグチが個展を開催する日本で唯一の企画ギャラリーとして、知る人ぞ知る存在でした。他にも、アンソニー・カロやジョージ・リッキー、清水九兵衛や村岡三郎などといった彫刻家を積極的に扱うギャラリーだったのですが、関西のギャラリーということもあり、白髪一雄や元永定正、田中敦子といった「具体」の作家の企画展を開催したり、作品を扱ったりしていました。太田さんからは、そういう作家の人となりを今でもたまに聞いたりするのですが、とてもリアルでおもしろく、いつもたいへん興味深く聞かせてもらっています。
私自身も、企画ギャラリーでの本格的な個展を開催(2002年)したのが、(当時、東京の京橋にあった)カサハラ画廊だったこともあり、ギャラリー・オーナーの笠原さんに連れられて、名立たる大先輩の作家さんたちとの酒席に何回か同席させてもらったことがあります。昨年お亡くなりになられた元永定正さんと同席させていただいたこともあり、それは今では本当にいい思い出というか、いい経験となりました。もうかれこれ10年ほど前の話になりますが、当時すでにご高齢であった元永さんの生命力溢れる存在感や、誰に対しても分け隔てない気さくなお人柄とパワフルでエネルギッシュな話しっぷりや飲みっぷり、そして、その醸し出す何とも言えない独特の雰囲気に、まだ駆け出しの作家だった私は、ただただ圧倒され目を丸くさせたものでした。ですから、そんな元永さんのお若い時のパワフルさは、いかばかりかと・・・。
これまで関西では、兵庫や大阪などで、「具体」展が頻繁に開催されてきましたが、この度ようやく東京で「具体」の全容を紹介する展覧会を観ることができました。そんな「具体」展の会場を、在りし日の元永さんのお人柄などを偲びつつ、なんだか感慨深く巡りました。